クリムトが生きていた頃はアウホーフ通りからヒーツィンガー中央通り、そして線路からフェルドミュールガッセ{右の図を参照}にいたる区域は大きな荒果てた庭に囲まれていた。当時人目につかない家と庭はフェルドミュールガッセから見つけることは困難だった。横の(11番地と15a番地)に接する道路の境界線側面に青みがかった灰色の普通の柵と、厚い垣根、2つの庭の門があった。前庭は南向きでモーリッツ・ネーアによって写真に記載されている。ここには果樹が生い茂り、葉状植物、低木、芝生や花々が確認、識別することができる。彼のアトリエの庭は19世紀終わりに流行した「自然の」別荘スタイルの庭のタイプだった。
植物が生きている証人
現在の所有地は土地面積5.451㎡に及ぶ(元の区域の約3割)。現在でも19世紀からのいちいの木や30本を越える古い落葉樹、針葉樹および球果を結ぶ果樹が残る。アトリエの西側には2本の、当時のままのバラの木が茂み、「生き証人」として現在も残る。クリムトが生きていた頃には贅沢にバラが咲き乱れていた。1912年「果樹園とバラ」は、ほぼ正確にエゴン・シーレの叙述通り、アトリエ西側の窓の前のバラを描いている。家の隣人や後の居住者はクリムトの庭について夢中で語った。「庭に少し足を踏み入れればうっとりと魅せられたものだ。前庭の一部分と言っても家の後方部分には、何百もの異なった種類の果樹の花が満開で、それに群がっている無数のミツバチや、マルハナバチが飛び回り、多彩な歌鳥がさえずる光景は(.....)このような魔法の庭を見て我を忘れないでいられる人が存在するのなら私は信じられない。」
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